岡田青慶 作品一覧

岡田青慶の作品一覧です。作品画像をクリックすると詳細がご覧になれます。
※ 掲載作品は常時画廊で展示されているとは限りません。直接ご覧になりたい場合は事前にご連絡ください。
岡田青慶作品一覧作家名タイトル技法サイズ
岡田青慶「今帰仁城趾」
- 売却済み -
岡田青慶 今帰仁城趾 日本画
紙本彩色
53×45.5
岡田青慶「壺屋の窯場」
- 売却済み -
岡田青慶 壺屋の窯場 日本画
紙本彩色
45.5×60
岡田青慶「八重山の月明」
- 売却済み -
岡田青慶 八重山の月明 日本画
紙本彩色
34.5×53
岡田青慶「赤木と屋根」
- 売却済み -
岡田青慶 赤木と屋根 日本画
紙本彩色
45.5×53
岡田青慶「中城々趾の月」
- 売却済み -
岡田青慶 中城々趾の月 日本画
絹本彩色
44×50.5
※ 掲載作品以外にもご紹介できる作品がある場合もございます。売却済等でもお気軽にお問い合せください。

岡田青慶 作品へのお問い合わせ

岡田青慶作品の問い合せ 岡田青慶作品へのお問い合わせは左のボタンよりお問い合せフォームにて承ります。なお、恐れ入りますが全ページ共通の問い合せフォームとなっておりますので、特定の作品に関するお問い合せは販売IDと画家名、タイトルを必ず本文内に含めて下さいますようお願い致します。
(例)
岡田青慶「今帰仁城趾」日本画 53cm×45.5cmの購入値段について。(740045)

岡田青慶 作品の買取価格一括査定

絵画・美術品の売却・買取価格同時一括査定依頼 岡田青慶作品の買取価格同時一括査定を行っております。一度の査定依頼で複数の絵画・美術品業者よりオークション落札価格等の市場相場に基づく買取査定価格が提示され、そのなかで一番高額な買取査定価格を提示した業者をご紹介致します。
岡田青慶作品の売却をお考えの方は左記ボタンより是非買取価格同時一括査定をご利用ください。

岡田青慶 略歴
おかだせいけい - Seikei Okada Profil -
1908年 神奈川県川崎市に生まれる。本名重雄
川端絵画学校日本画部卒業後、牛田鶏村画伯に師事し、後芸術院会員中村岳陵画伯の門に入る。
1932年 横浜美術展に「アイヌの女」「秋の流れ」を出品し、有吉市長賞を受ける。
紀元2600年奉祝大毎点に「水温む」入選。
院展試作展に「綴る秋」「日和」「如月」「初冬」等入選。
1942年 院展「雪」初入選。翌年より引続き「池畔」「木の間」を出品日本美術院々友に推薦される。
1949年 帝展改組後の新文展に「新秋」入選する。この年師中村岳陵院展を脱退し日展に移る。
1950年 日展に「熔鉱炉風景」引続き1953年迄「工場風景」「樹」「樹間」等出品入選する。
1957年 「秋田風物画」を主題に秋田市木ノ内デパート、男鹿川船港、湯沢、横手市にて巡回個展を催す。
1958年 日展に「竹叢」入選。
1959年 友人沖縄ラウンドリー社長古堅弘毅氏に招かれて3月沖縄に初渡島する。5月15日川崎市出身の詩人佐藤惣之助氏の「琉球諸島風物詩集」の一節を刻んだ詩碑を、川崎市が那覇市に贈り、首里城内クンダグスクに建立され盛大な除幕式があり、之に参列。
1960年 日展に琉球の「海魚」入選、以後1959年より1972年の14年間にわたり沖縄に再渡島し沖縄本島を始め、伊是名島、伊平屋島、伊江島、宮古島、石垣島、竹富島、西表島と遠く琉球最西端与那国島、最南端波照間島等八重山諸島を巡り、夢と詩の国、踊りの島琉球に文化を求め、その成果を八重山、那覇琉米文化会館、大越百貨店、川崎小美屋デパート等で個展を開催した。日展に「八重山の月明」「琉球所見」院展に「礁」「ガジュマル」を出品、琉球文化を紹介した。
1963年 川崎市史「明治天皇小向梅林御幸之図」を揮毫、市商工会議所、御幸小学校、小向公会堂に寄贈する。
1964年 4月川崎市小向妙光寺本堂落慶に際し、本堂格天井に「花鳥画」42面完成、並びに「涅槃」の大額を揮毫する。6月横浜高島屋画廊にて「琉球風物に取材して」個展を開催。7月川崎市加瀬山出土品国宝「秋草文之壺」の図を日展女流書家川崎市出身吉浜弘子女史の画賛にて制作する。9月院展に復帰、49回院展に東南アジア風物「市立つ」。
1965年 9月50回院展に「礁 A」。52回院展に「ガジュマル」入選、再度院友に推薦される。
1967年 4月石垣港竣工記念大鷲の像建立制作に当り、製作者日展評議員円鍔勝三氏を選定斡旋し、躍進八重山の象徴に協力せる労により、同委員会より感謝状をうける。
1968年 9月横浜高島屋画廊にて再度個展を開催する。
1969年 4月胞沖10周年を記念して那覇市リウボウ画廊にて個展開催、屋良琉球政府主席に「玉陵の獅子」50号の額を寄贈する。春季院展に「群」54回院展に「礁 B」入選。9月福島鉄工所福島三郎氏の委嘱により琉球渡島中のスケッチ108点を完成する。
1970年 3月川崎さいか屋にて個展開催。9月55回院展に「礁 C」入選。
1971年 春季院展に「礁」。9月56回院展に「礁 D」入選。
1972年 春季院展に「月映」。9月57回院展に「月映」入選。11月3日池上厳定院本堂に祖師生誕750年を記念し御一代記を額10面に揮毫する。12月16日川崎沖縄文化同好会に会員として古江亮仁、古波津英興、柴田勇氏など共に同会発展に協力せるにより、川崎市文化協会、川崎市教育委員会より感謝状並びに賞状を受ける。
1973年 3月川崎さいか屋にて個展。春季院展に「礁」出品。5月5日沖縄県屋良朝苗知事より琉球文化に深く貢献せるにより感謝状をうける。5月18日飛鳥田一雄横浜市長より市の美術振興に対しての感謝状をうける。11月院展日展計20回の入選歴を記念して待望の画集「琉球」発刊の運びとなる。
1981年 逝去