宮本三郎 作品一覧
宮本三郎の作品一覧です。作品画像をクリックすると詳細がご覧になれます。※ 掲載作品は常時画廊で展示されているとは限りません。直接ご覧になりたい場合は事前にご連絡ください。
宮本三郎作品一覧 | 作家名 | タイトル | 技法 | サイズ |
---|---|---|---|---|
宮本三郎 | 海老 | キャンバスに油彩 | F4号 | |
宮本三郎 | 小早川秋聲 「日本刀」模写図 |
紙に岩彩 | 41.0×31.8 | |
- 売却済み - |
宮本三郎 | 舞妓十二題集より 「松の内」 |
版画 木版画 |
37.5×55 |
宮本三郎 作品へのお問い合わせ
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宮本三郎 略歴 (1905-1990)
みやもとさぶろう - Saburo MIYAMOTO Profil - | |
1905年 | 石川県小松市松崎町に生まれる。 |
1918年 | 石川県立小松中学校(現・石川県立小松高等学校)に入学する。 |
1920年 | 小松中学校を中退し、画家を志し離郷。兄を頼り神戸に出る。 |
1922年 | 上京し川端画学校に在籍。富永勝重、藤島武二に師事する。 |
1923年 | 関東大震災を機に京都にうつる。関西美術院で黒田重太郎の指導を受ける。 |
1927年 | 第14回二科展に初入選。以降、昭和19年まで毎年出品。 |
1928年 | 遠藤文枝と結婚。品川区小山に住む。 |
1929年 | 長女、美音子が生まれる。目黒区原町に転居する。 |
1933年 | 東京朝日新聞連載小説「三家庭」(菊池寛)への挿絵を描く。 |
1935年 | 世田谷区奥沢にアトリエを新築。初期の代表作である「婦女三容」を完成させる。 |
1938年 | 渡欧。パリを中心に滞在。ルーヴル美術館で摸写をするほか、スイス、イギリスなどを巡り、各地の美術館を見学し、翌年に帰国。 |
1942年 | 戦争記録画制作のため、藤田嗣治、小磯良平らとともにマレー半島、タイ、シンガポールなどに渡る。「山下、パーシバル両司令官会見図」を完成させる。翌年同作で第2回帝国芸術院賞を受ける。 |
1945年 | 石川県金沢市に疎開。 |
1947年 | 熊谷守一、田村孝之介、正宗得三郎らと二紀会を設立。以降、亡くなるまで出品を続ける。 |
1948年 | 金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)の教授に就任する。(昭和25年まで) |
1952年 | 渡欧。スペイン、イタリア、ギリシャなど巡遊する。翌年帰国。 |
1953年 | 多摩美術大学教授に就任。 |
1958年 | 日本美術家連盟理事長に就任。 |
1959年 | 日本美術家連盟の会館建築に際し、建設委員長に就任。昭和37年に会館は完成。 |
1966年 | 日本芸術院会員となる。 |
1967年 | 二紀会が社団法人となり、理事長に就任。 |
1971年 | 国立西洋美術館評議会評議員に就任。 |
1973年 | 文化庁芸術専門調査会委員に就任。 |
1974年 | 10月13日、腸閉塞による心臓衰弱のため逝去。(享年69歳) |