井手宣通 作品一覧

井手宣通の作品一覧です。作品画像をクリックすると詳細がご覧になれます。
※ 掲載作品は常時画廊で展示されているとは限りません。直接ご覧になりたい場合は事前にご連絡ください。
井手宣通作品一覧作家名タイトル技法サイズ
井手宣通「熱海」 井手宣通 熱海 キャンバスに油彩 F4号
井手宣通「富士遠望」 井手宣通 富士遠望 キャンバスに油彩 F10号
井手宣通「するが湾 十国峠より」
- 売却済み -
井手宣通 するが湾
十国峠より
板に油彩 F4号
井手宣通「内海旭日」
- 売却済み -
井手宣通 内海旭日 キャンバスに油彩 F8号
※ 掲載作品以外にもご紹介できる作品がある場合もございます。売却済等でもお気軽にお問い合せください。

井手宣通 作品へのお問い合わせ

井手宣通作品の問い合せ 井手宣通作品へのお問い合わせは左のボタンよりお問い合せフォームにて承ります。なお、恐れ入りますが全ページ共通の問い合せフォームとなっておりますので、特定の作品に関するお問い合せは販売IDと画家名、タイトルを必ず本文内に含めて下さいますようお願い致します。
(例)
井手宣通「内海旭日」油彩6号の購入値段について。(760008)

井手宣通 作品の買取価格一括査定

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井手宣通 略歴 (1912-1993)
いでのぶみち - Nobumichi IDE Profil -
1912年 2月1日熊本県上益城郡御船町に生まれる。。
1918年 御船小学校に入学。
1924年 熊本県立御船中学校に入学。中学3年の頃画家を志す。
1930年 東京美術学校に入学。石膏デッサンを長原孝太郎に、人体デッサンは小林万吾に学んだ後、藤島武二教室に進学。
1933年 小絲源太郎に師事。第20回光風会展に「コスチューム」で、第5回第一美術協会展に「女」で初入選。
また、第14回帝展に「漁夫と子供」で初入選し、以後官展への出品を続ける。
1934年 第21回光風会展に「兵士と馬」を出品してK夫人賞受賞。在学中から早熟な画才を示した。
本年より「坊也」と号する。
1935年 東京美術学校西洋画科を卒業し同校彫刻科に再入学。北村西望、朝倉文夫の指導を受ける。
第22回光風会展に「子供と馬」を出品してF氏賞受賞。
石川滋彦井手宣通、川端実ら12名で官展若手作家が新規な試みを行う団体として立陣社を設立。翌年須田寿も加わる。
1936年 光風会会友。
1939年 光風会会員に推される。
1940年 東京美術学校彫刻科を卒業するのを機に「坊也」の号を廃する。第27回光風会展に「子供二人」を出品して佐分賞受賞。
1942年 海軍報道班員としてジャワ、ボルネオ、セレベス、シンガポール等へ赴く。
1944年 大使館嘱託として南京、蘇州、上海に滞在。
1945年 帰国。
1946年 伊豆にアトリエを構え、第2回日展に「斜陽」を出品して官展に復帰する。
1947年 朝井閑右衛門らと新樹会を創立。
1955年 ~56年まで渡欧。
1962年 日展に「野馬追」を出品する。この制作にあたり福島県原町市の相馬野馬追祭を見たことから、日本の伝統的祭りに興味を抱き、以後祭りを好んで描くようになった。
1964年 第7回社団法人日展に「賀茂祭」を出品して文部大臣賞受賞。
1966年 前年第8回日展に出品した「千人行列」が日本芸術院賞。光風会を退会する。
1969年 日本芸術院会員に就任するとともに日展理事となる。
1977年 日洋会を創立して運営委員長に就任する。
1979年 1月に胃潰瘍で入院後熱海で静養しのち熱海にアトリエを建てたためこの地に取材した作品が多くなる。
1981年 横浜駅東口に陶板画「横浜の詩」を制作。
1983年 日本経済新聞社主催による「画業五十年井手宣通展」を東京の日本橋三越で開催。
「井手宣通画集」を発行。
1990年 文化功労者。
1991年 日展理事長。
1990年 東京にて逝去(81歳)。
- 主な収蔵美術館 -
東京国立近代美術館、東京都現代美術館、福島県立美術館、佐久市立近代美術館、熊本県立美術館