織田広喜 作品一覧

織田広喜の作品一覧です。作品画像をクリックすると詳細がご覧になれます。
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織田広喜作品一覧作家名タイトル技法サイズ
織田広喜「森の少女」 織田広喜 森の少女 キャンバスに油彩 F6号
織田広喜「公園の少女」 織田広喜 公園の少女 キャンバスに油彩 F3号
織田広喜「ブローニュ風景」 織田広喜 ブローニュ風景 キャンバスに油彩 SM
織田広喜「少女」 織田広喜 少女 キャンバスに油彩 F6号
織田広喜「少女」 織田広喜 少女 キャンバスに油彩 F3号
織田広喜「タヒチにて」
- 売却済み -
織田広喜 タヒチにて キャンバスに油彩 20.5×25
織田広喜「少女」
- 売却済み -
織田広喜 少女 キャンバスに油彩 F4号
織田広喜「花」
- 売却済み -
織田広喜 キャンバスに油彩 F0号
織田広喜「花」
- 売却済み -
織田広喜 キャンバスに油彩 F0号
織田広喜「シャンゼリゼー」
- 売却済み -
織田広喜 シャンゼリゼー パリ キャンバスに油彩 F0号
織田広喜「花」
- 売却済み -
織田広喜 キャンバスに油彩 F0号
織田広喜「テラスの少女」
- 売却済み -
織田広喜 テラスの少女 キャンバスに油彩 F0号
織田広喜「少女」
- 売却済み -
織田広喜 少女 キャンバスに油彩 F0号
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織田広喜 作品へのお問い合わせ

織田広喜作品の問い合せ 織田広喜作品へのお問い合わせは左のボタンよりお問い合せフォームにて承ります。なお、恐れ入りますが全ページ共通の問い合せフォームとなっておりますので、特定の作品に関するお問い合せは販売IDと画家名、タイトルを必ず本文内に含めて下さいますようお願い致します。
(例)
織田広喜「少女」油彩0号の購入値段について。(710116)

織田広喜 作品の買取価格一括査定

絵画・美術品の売却・買取価格同時一括査定依頼 織田広喜作品の買取価格同時一括査定を行っております。一度の査定依頼で複数の絵画・美術品業者よりオークション落札価格等の市場相場に基づく買取査定価格が提示され、そのなかで一番高額な買取査定価格を提示した業者をご紹介致します。
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織田広喜 略歴 (1914-2012)
おだひろき - Hiroki ODA Profil -
1914年 4月19日福岡県嘉穂郡千手村(現嘉麻市)に父鶴吉、母マサノの次男として生まれる。
1927年 全国学芸品展覧会(主催:筥崎宮御造営落成奉祝会・福岡県教育会・九州日報)。
1929年 碓井尋常高等小学校高等科を卒業。父が病気のため働きにでる。陶器の絵付け、ちょうちん屋の図案描きを経て福岡市の菓子店「凪洲屋」に勤めたのち碓井村へ帰り郵便局員として働く。村祭りの時に自宅の玄関先に水彩画、鉛筆画を並べ個展を開く。
1931年 碓井村の帝展入選画家で初代飯塚市教育委員長を務めた犬丸琴堂(慶輔)に油絵の指導を受ける。
1932年 犬丸琴堂の勧めと両親の説得の末上京、中野に住む同郷の友人宅に住み、その後氷屋に住み込みで働く。庭の掃除や屋根塗り、植木の手入れなど便利屋的な仕事、化粧品の訪問販売などをし学費を貯める。
1934年 日本美術学校絵画科に入学。当時大久保作次郎が講師。後に藤田嗣治、林武も指導にあたる。経済的に苦しく、舞台の描き割りや歌舞伎座の黒子をしたり、泡盛の空瓶に絵を描いて売り歩く。
1937年 第24回二科展に初出品するが、落選する。以後も搬入を重ねる。藤田嗣治、岡田謙三、鈴木信太郎に指導を受けながら制作に励む。
1939年 日本美術学校西洋画科を卒業。
1940年 第27回二科展に「未完成」を出品し初入選する。
1946年 二科展再建第1回の第31回二科展に「黒装」を出品、二科賞受賞。同展へ小松島(徳島県)から萬宮リラも『猛禽』を出品し初入選となる。二科展パーティー会場まで案内したことがきっかけで萬宮リラとの手紙のやりとりがはじまる。
1948年 岡田謙三の家(目黒区)に住み込む。二科展に大作を出品することを学ぶ。
1949年 二科会準会員に推挙される。
1950年 岡田謙三が渡米。岡田の依頼で、中原実の家(武蔵野市吉祥寺)に住み込む。第35回二科展に「讃歌」を出品、二科会に会員推挙される。
1951年 萬宮リラと結婚。戸山ヶ原の旧陸軍の厩舎を借り、1000号の大作『月見』を制作。杉並区上高井戸に転居する。
1953年 長男織田廣比古誕生。
1957年 世田谷区上祖師谷に転居する。
1960年 3月初めての渡仏。翌年6月帰国。
1962年 7月妻リラ、長男廣比古とともに渡仏。スペイン、イタリアへも取材旅行する。翌年4月帰国。
1966年 4月横浜出港の英国船で渡仏。9月に帰国。
1968年 第52回二科展出品作「噴水とマヌカン」が1967年度文部省買い上げ決定。
第53回二科展に「小川の女たち」他を出品、内閣総理大臣賞受賞。
1969年 次男きじ男誕生。
1970年 11月渡欧する。
1971年 パリで初めての個展をエルヴェ画廊で開催。
第56回二科展に「水浴」(ミュゼ・オダ蔵)を出品、東郷青児賞受賞。
1973年 2月家族と共に渡仏。往路ではハワイ、タヒチ島、フィージー諸島、アカプルコなど巡遊。各地に一週間ほど滞在しながら取材をおこなう。3か月の船旅の末ロンドンを経てパリへ入る。7月に帰国。
9月二科展の出品を終え渡仏。翌年4月に帰国。
1980年 二科会常務理事に就任する。
1981年 サロン・ドートンヌ会員に推挙される。
1982年 リオ・デ・ジャネイロ名誉市民となる。
福岡市美術館において<憂愁の詩人画家>織田廣喜展開催。
1983年 浅草界隈の取材を行い制作する。
1985年 浅草を描く織田廣喜展(銀座和光)を開催。
1987年 第8回日伯現代美術展受賞者展で審査員を務める。
1992年 勲4等瑞宝章受章。
織田廣喜ふるさと展が碓井町(現嘉麻市)住民センター文化ホールにて開催される。
1994年 ミュゼ・オダ(福岡市)開館。
1995年 恩賜賞・第51回芸術院賞受賞。芸術院会員に就任。
1996年 碓井町立織田廣喜美術館開館。
1998年 妻リラ死去。次男きじ男とともに渡仏。
2003年 勲3等瑞宝章受章。フランス芸術文化勲章・シュバリエ受章。
2006年 二科会理事長に就任。
2009年 長男の織田廣比古がパリにて死去。
2012年 二科会総会にて名誉理事長に就任。
5月30日東京都八王子市の病院にて逝去(98歳)。